茶の湯 つれづれ日記

2016年10月10日

「松風・村雨」のはなし

11代 中村宗哲(元斎)作 武庫離宮 月見の松 平棗・中棗一双


  銘「松風・村雨」 惺斎宗匠箱

  茶道具

 

11代 中村宗哲(元斎)作 武庫離宮 月見の松 平棗・中棗一双


  銘「松風・村雨」 惺斎宗匠箱


  




宗哲さんの茶器には珍しく、中棗と平棗を一双にしておられます。


それでは早速その訳をひも解いていきましょう。




まずは武庫離宮。



これは大正天皇の別荘として大正3年に造営された離宮でしたが、
昭和20年3月の空襲で焼失。この間、大正・昭和の天皇陛下や
ラストエンペラーとして知られる満州国溥儀(ふぎ)皇帝らがご利用されました。
その後、神戸市に移管され、現在は離宮公園として憩いの場となっています。





次に


「立ち別れ いなばの山の 峰に生ふる 待つとし聞かば いま帰り来む」


で始まる謡曲『松風・村雨』。



松風(姉)・村雨(妹)は、平安時代、須磨に暮らしていたという伝承上の姉妹。
須磨に汐汲みに出たところ、須磨に流されていた在原行平と出会い、恋に落ち 、
のちに行平が都に帰る際、詠んだのがこの歌だといわれ、

その時に松の木に 形見の烏帽子・狩衣を掛けて残した、ともいわれています。

 


稲葉の山はその後も月の名所として源氏物語の「須磨」にも登場し、いつの頃からか
『月見山』と呼ばれ、現在では駅名にもなっています。

 


この武庫離宮には、かつて「月見の松」と呼ばれた松がありました。
現在の「月見台」という場所にあったようですが
この松からは、古来美しい月が眺められたようです。

 


そしてその松を以って作られたのがこの棗というわけです。

 


漆を通し、松の美しい木目が浮かび大変美しいものです。

 


惺斎宗匠が平棗をお姉さんの松風、中棗を妹の村雨と名付けられ、
平棗の蓋裏には「汐汲み桶」の蒔絵、中棗には「扇」の蒔絵があります。




 



合い口の立ち上がりには細かく須磨の波が描かれています。






盆付には惺斎宗匠が割り書きにて一つずつにお花押を入れられています。

 

 

 

 

 


このお花押は惺斎宗匠が半白を過ぎられた大正2年から使用されたものであり、
また、元斎宗哲さんが制作をを始められたのが、昭和2年頃からのようですので
それから惺斎宗匠が亡くなられる昭和12年までにできたものと推測されます。
元斎宗哲さんが30歳代のお作ということになります。


全く狂いもなく美しく、とても80年以上経っているとは思えません。




さて、謡曲「松風」の一節。


「さし来る潮を汲み分けて、見れば月こそ桶にあれ」


二人は美しい月を愛でながら姉妹で汐汲みに行き、桶に月を映し持ち帰ったのでしょう。
その風情をほどよく感じます。





古来日本人は水面に映る月影に愛着を感じ、時に「掬水月在手」に代表されるように
公案にも採り上げられ、意義深い人生観にも例えられてきました。



また、「月は一つ、影は二つ・・・」と
月=行平 ・ (月)影=松風、村雨


それぞれの複雑な心情も秘められています。




話題豊富で、仕上がりも美しく、
とても洒落た作品です。


一つずつ使うのも勿論いいですが、替茶器として使ったり、
二席設けた時などにさらに楽しめそうです。



須磨には衣掛松や松風村雨堂など、彼女たちの伝承に基づく遺跡がいくつかあり、
須磨区内には村雨町・松風町・行平町・衣掛町という付けられた地名もあるそうです。

 


その舞台を一度散策してみるのも楽しそうですね。






以上、お道具に教えられたお話でした。

 


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店主が茶の湯で感じたことなど、思いのまま綴っています。

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